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パレイドを叩いた話

 

 

本日7月18日は夏川椎菜さんの誕生日!

 

夏川さん!!24歳の誕生日おめでとう!!!

 

いやあおめでたい!おめでたすぎる!!

 

今年は全然夏川さんの姿を直接見れていなくて寂しい・辛いという気持ちでいっぱいですが、今週の月曜日に発表された新曲アンチテーゼのおかげで今はなんとか心が安定している状態です。そういうのもあって、今年はいつもより盛大に夏川さんの誕生日をお祝いするぞ!という考えになり、こうしてブログを書いたりTwitterにパレイドの演奏動画をツイートしてみたりしたのですが、今回はその演奏動画についての解説的なものを書いていきたいと思います。一応これでも元表現者の端くれも端くれなので、たった1曲でもこれだけ考えてるんやぞ!っていうのを知っていただいて、じゃあ夏川さんはどんなことを意識しているのかな?って考えてみる1つのキッカケとなってくれたら嬉しいですね。

 

 

 

 

今回はグロッケンという楽器を用いて、夏川さんのバースデーシングルの表題曲でもあるパレイドを演奏させていただきました。いわゆる鉄琴と呼ばれる楽器ですね。

実は今回パレイドを演奏するにあたって様々な工夫をしていたりします。分かりやすいところで言えば、イントロをカットしてAメロからスタートしているところや、原曲よりも遅いテンポで演奏しているところですかね。

演奏動画を見ていただければ分かるんですけど、グロッケンってそれだけで演奏しようとすると、ただでさえ音が響くので、次のフレーズへいこうとしてもその音が残り続けたままなんですよ。つまり何が言いたいかというと、原曲のテンポ通りに演奏しようとすれば、逆に音がごちゃごちゃになって何が起きているのか分からなくなるということ。なので、敢えてテンポを遅くすることによって残り続ける音を出来るだけ無くし、聴き手に音を聴かせやすくするという意図が実はあるんですよね。

じゃあ響く音を無理やり手で押さえるなどして止めればいいじゃないかという方ももしかしたらいるかもしれないですが、それなら足で音の響きをコントロールできるビブラフォンの方が合っていますし、一度叩いた音がそのまま残り続けるというのはグロッケンの1つの特徴でもあるので、今回は敢えてテンポを遅くして演奏してみました。というか本来のテンポに捉われない演奏をしてみました。

イントロをカットしたのもそれが理由の1つだったりします。Twitterの2分20秒という尺に余裕を持って収めるには些か危ういところもなくはなかったので。

あとは歌の部分だけ演奏すると、原曲の0:17〜0:34までの間が完全に無音になってしまって寂しいのと、仮に演奏したとしても、この部分は別に歌があるわけではないので変に浮いてしまうということ。

 

なんというか、ものすごく中途半端。

 

それなら簡単な伴奏をつけた方がまだマシなのですが、いかんせん鍵盤の都合上そこまで低い音は出せません。なので今回は敢えてイントロをカットし、歌の部分だけを演奏しました。

 

他にも全体を通してだんだんと音の大きさをデカくしています。

最後の「ああ ああ ああ」が出来るだけ1番デカく聴こえるように、メリハリをつけて演奏しました。音の強弱って本当に大事ですからね。特に最初のAメロの部分はめちゃくちゃ苦労しました。

これは鍵盤楽器に限らずどの楽器にも恐らく言えることだと思うのですが、小さい音を出すって本当に難しいんです。ただ音を小さくっていうのを意識するだけでは、音自体がへにゃへにゃになってしまい、ちゃんとした音として出なかったり、そもそも音程がズレてしまったりするんですよね。鍵盤楽器は音程のズレこそほとんど無いものの、ちゃんと叩けていないと、マレットがバウンドするような感覚…うまく説明できないんですけど、要するに「タン」という音を叩きたいのに「タタン」って、卓球のボールが細かくバウンドしているような、そんな音が出てしまうんです。実際今回の演奏動画でも何回かそういう箇所があって、自分自身まだまだ下手だなぁと感じざるを得ないのですが、まあそれだけ小さな音を出すというのは難しいことなのです。それを出来るだけ無くすために、全体的に音の大きさを大きめにすれば、相対的に普通に叩いた音が小さく聴こえるっていう手法もあったりするんですけど、お隣さんにこれ以上迷惑もかけられないためそれは流石にあまり意識できず、今回のような感じになってしまった次第でございます。

 

 

さてさて、ここからは曲の流れに沿って、他にはどのような工夫をしていたのかという細かい解説をば…

 

最初はAメロについて。まあ既に説明してきたことくらいしか特段ないのですが、強いて言うなら、出来るだけどの音も均一に同じくらいの音の大きさになるよう意識しました(実際のところ全然出来てなくて恥ずかしい)。グロッケンはそこのところシビアなので、少しでも気を緩めると、前述したようにちゃんとした音として出なかったり、無駄にアクセントがついてしまったりして簡単に音の大きさが変わってしまうんですよね…

ではどうしてこの部分は音の大きさを均一化させようと思ったのか?

この部分の歌詞って、昔はこうなりたかったんだけどなぁっていうか、そういう夢や理想を思い描いていた場面じゃないですか。じゃあもうちょい明るく叩けばいいじゃないって思うかもしれないですけど、この場面はあくまで今の曲の主人公が自身の過去を振り返っている場面でもあるので、理想と現実の狭間に苛まれたが故の虚無感というのを表現したくて今回あのような演奏になっています。

 

次はBメロですね。

歌詞でいう「イヤと言えるほど強くなくて」の「イヤ」という部分なのですが、ここは敢えて少し強めに叩いています。そして「強くなくて」にかけて多少のデクレッシェンドを意識。これは「イヤ」と言う行為が実際には出来ていないという主人公の思い描いていた理想と現実のギャップを表現するためです。この表現は「素敵なものを手に入れるけど」の部分でも使っています。

「描いてた自分は もう」の「もう」を少し強めに叩いているのは、次の「どこにもいない」の音を強調したかったため。いきなり音を大きくしすぎるのも違うかなって思ったので、クッション材としての役割を果たしてもらう役割を担ってもらいました。

 

そしてサビへ。

サビで主人公は嘆きます。もっと上手くやれていれば、今頃はこんな風にはなっていなかったと。

この部分で大事なのは嘆き。ただ音をデカくするだけでは歌詞や曲の雰囲気が伝わりづらいです。故にこの部分では原曲にもあるようにハモりの音も入れて音に厚みを持たせました。その上で音をデカくし、さらにはアクセントも意識することで、より原曲の雰囲気に近づけさせました。またハモりの音が大きくなりすぎないよう、ハモりの音は少し小さめに、主旋は少し大きく叩くことで、あくまで主旋が1番聴こえるよう意識しました。

 

最後の「ああ あー」では、敢えて音を少し小さくしています。これは主人公が嘆き叫んだあと思わず俯いてしまうような、今の自分に絶望するような、そんな悲しみを意識して演奏してみました。

 

 

 

…と、ここまでだーっと書いてきましたが、あんなちっぽけな1分半程度の演奏動画でもこれだけ意識していることがあるっていうのを知っていただけたら嬉しいですし、これを機に夏川さんのことをもっと考えてみる一助となっていれば幸いです。

改めて夏川椎菜さん誕生日おめでとうございます!!

今日が素敵な1日になりますように…